【登録有形文化財】
本殿は銅板茸入母屋造りで、平安時代の優麗繊細な様式を彩りつつ彩色・彫刻等装飾をさけ、豪華な重層楼門の精緻と対称美を構成する。社殿造替の社史を繰る
と、延喜4年(904)土師信貞創建、建久6年(1195)俊乗坊重源、東大寺落成のお礼に本殿・廻廊・楼門を造替、元徳2年(1330)炎上、正平20
年(1365)大内弘世本殿再建、天授元年(1375)大内弘世拝殿、応永8年(1401)大内盛見三重塔、太鼓楼造営、大永6年(1526)炎上、享禄
3年(1530)大内義隆再建、のち毛利隆元修造、寛政元年(1789)毛利重就造替、昭和27年炎上、全国から献資を仰ぎ、巨費をもって昭和38 年楼門を最後に本殿・拝殿・廻廊を完成した。
【登録有形文化財】
春風楼は十代藩主毛利斎煕が社頭に五重塔の建立を思い立ち文政五年(一八二二)六月大専坊に於いて地鎮供養の祈祷をし釿始の儀を行ったが、資金調達中、天保二年(一八三一)不慮の支障に遭い一時中止の止むなきに至った。
その後、塔の設計を現在の重層の楼閣様式へ変更して明治六年(一八七三)に完工した。この楼の床下の木組は文政年間着工当初の塔の一層軒下に使用すべき組物を使用したもので、当時の面影を偲ぶに充分である。この楼上からの眺望は四季折々まことに絶景で春風楼の名にふさわしい。
【県指定史跡】
防府天満宮の表参道に面した両側には明治維新まで九つの社坊(馬場の西側に大専坊、西林坊、東林坊、密蔵坊、会所坊、同東側に円楽坊、等覚坊、乗林坊、千蔵坊)が立ち並んでいて一山の総号を酒垂山萬福寺ととなえた。大専坊はその別当で天満宮創建当時の草創といわれている。この坊は弘治三年(一五五七)毛利元就が大内義長を山口に攻めこれを長府で自刃せしめて防長両国を平定するまで元就の参謀本部となったところで尊皇攘夷で激動した幕末にはこの地方を警固する諸隊の屯所となった。